月: 2014年4月

「中韓の感情に配慮して靖国参拝はやめるべき」とは良く言うが
「日本の感情に配慮して核兵器開発はやめるべき」は完璧に無視されてきたこの半世紀以上、如何お過ごしでしょうか


部落問題の歴史を簡単に説明してほしい

部落問題はどうしたら解消される?

また今行われている対策は解消の方向に向かってる?

部落出身者で差別される人とされない人の差は?

44以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:26:05.79ID:Vu8PTZDm0

»41

じゃ順追って説明する

被差別部落に深くかかわるのは「ケガレ」と「地域形態の在り方」

・ケガレとは、血や死に関わるのを嫌う思想 

具体的には生き物の死体や血(経穴含む)に触るのを嫌う。

・これは、仏教が入ってきたときに一緒にインドのケガレ思想が入ってきたことで

日本にも生まれたのが始まりだと言われている

・そのため、ケガレ思想は仏教の伝播中心地である畿内発祥とされる。部落差別も畿内が最大地域

・また、仏教を取り入れたのは貴族であるため貴族文化的な地域で部落差別は多く残る=西日本で多く残り、

東日本ではあまり残らなかった。

※仏教の信者比率を見ると東日本と西日本でくっきり比率が違い、

東日本は多くの県が仏教信者率2割程度だが西日本では4割超えは珍しくない

・それ加えて、畿内 には都という、特別な意味を持つ土地があったことで 

都は清潔であるべき、洗練されているべきだという考え方があった

・しかし都は人が多く、特に平安時代になってからは平安京でも道端に人や牛の死体がごろごろ転がっていた

・死や血に対する畿内民の嫌悪感は強まる。

・「清潔であるべき」という思想は都だけではなく神社にもあてはまり、

神社の周りは部落差別が苛烈な地域が多い。

・貴族の頂点である天皇家の皇祖神まつる伊勢神宮は特にそれが顕著で、

神社の周りや神社の持ち領だった地域=御厨が多かった地域は部落差別が多く残る。

続く

45以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:27:40.89ID:Vu8PTZDm0

・「清潔に保たなければならない」が、

必ず生き物は死ぬし死ぬ場所を限定することはできない。

・そういう死体を片づけなければいけない人が必要。

それが「穢れ多い」「エタ」の始まり。

・こういったケガレ作業に従事してた人たちだけではなく、

神社を掃除したり呪術を行う人たちも最初は尊敬されるほど、「畏れられていた」けど

次第に差別されるようになった。「畏れ」って恐怖と尊敬が隣り合わせてる感情だからな。

・また、律令制の崩壊によって農村集落の在り方が変わってくる。

それは村ごとの世帯の数が増え、村は村で自治をおこなうようになる

・それによって村の団結力が高まる。=部外者を嫌うようになる

・また、このころより行商民という非定住民族もぽつぽつ出始める。

非定住民はつねに部外者であり、嫌われる。現代でも農民って移住民嫌うだろ?あれのもっと苛烈なもん

・この「俺らとは違うやつら」を嫌う傾向は、「ちょっと変わった生活を送るやつら」も含まれる。

それが神人であったり、乞食であったり、職人であったり、芸能民であったり…

・さらに室町期より商工業が盛んになり、その技を究める「職人」的なものが出てくる。

・それは戦乱が続き皮革業需要が伸びたことによりいっそう必要とされるようになる

・この皮革業=牛や馬の死体から皮をはいで皮製品にする職業はケガレの上に職人であるため、非常に嫌われた。

被差別部落の前身は皮革産業従事者である割合が非常に高い。

続く

57以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:41:09.89ID:viLcGXv80


»45

これはスッキリと分かりやすい説明だな、興味深くじっくりと読ませてもらうよ

これだけでこのスレ覗いた価値はあるな

46以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:29:04.57ID:Vu8PTZDm0

・こうした人々が「同じような職業の奴ら」で固まるようになる。なぜならその方が専門知識を情報交換しやすいし、

団結することで差別に立ち向かえるから。

・これが被差別部落の始まり。

・この「職業民の繋がり」や「地域の繋がり」である横のつながりの勢力は西日本中心で、

東日本では地域のつながりではなく血族の繋がりである縦の繋がりのほうが強かった。

・なぜなら都市の発展段階として、部族集団→血縁集団→地域集団という段階をたどる。

西日本は先進地域で東日本の発展段階の一つ上だったから。

・東日本では村のケガレ的作業は一族の末端=次男三男四男とか傍系のやつらがやることで処理していたから

村で差別的職業を担う奴が生まれなかった。

・そのかわり東日本では本家と分家でほぼ差別と言えるほど権限が違うという問題がある。

また、家父長制からなる血縁集団のため女性の権限が非常に低い。

・東日本的な村社会が今も濃く残る東北は排他的で陰湿とか言われるだろ?

地域集団は村人と何らかの縁があればなじめるけど、血縁集団は血縁になることでしかなじめない。だから排他的になる。

・東日本にも被差別部落あるやんけというかもしれないが、そういうのはだいたいその土地の偉い人が西日本から連れてきた職人であるとか、

社会的な発生要因で自然発生的な事であることが低い

・江戸で有名だった弾左衛門ももとは西日本から来た人。

続く

47以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:29:58.78ID:Vu8PTZDm0

・埼玉は人数だけでみると被差別部落民の人数は多いが、東日本中から集まって昔から住んでる被差別民ではない場合があるのと、

そもそも平野が広く県規模の人口だけ見ると多いように見えるが、村の数が多く、村の人口が少ない。

・エタ村っていうのはほぼ必ずと言っていいほど隷属する村「主村」がある。

普通の人が穢れを嫌ってやらないことをやる人達なんだから、やらない村に隷属するのは当たり前だよな。

・処理する人数は隷属する主村の人口に比例するから、村の人数が少ないほどエタ村の人数も少なくなる。

・被差別部落村があっても小さいのが点在してて、大きい村になることがなかった。

・こうした理由から巨大な被差別部落は西日本にあって、東日本は被差別部落があっても非常に人数が少なかった。

・この室町期に生まれた被差別職業集団や農村は江戸幕府によりそのまま利用されることになる

・違う目的を持つ対立する集団がいた方がお互いを監視させることができて幕府にとって都合がよかったから

・だが、江戸時代を通しているうちに農村の経営がうまくいかなくなって都に農民が逃げたり、

固まってた職業集団が固まらなくなってきたりする。

・それに伴い、差別も薄れていっていた。

このころの埼玉のとある農村では被差別民が参加させてもらえなかった村の祭りに普通に参加してたりする記録も残ってる

・何百年も代々同じ職業を続けるって難しいからな。

続く

50以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:31:25.59ID:Vu8PTZDm0

・幕府にとってこれは困ること。なぜなら農村をお互い監視させることができなくなるし、

農民が逃げたら米を経済の基礎としてる武士が生きていけなくなるから

・これを阻止するため「幕府の基礎」を固めるため、農民は農民、職人は職人、被差別民は被差別民として暮らすようにしろ というお触れが出る

・幕府のお触れは基本幕領だけだけど、全国の藩は徳川に右ならえなので各藩でも同様の政策を出していく。

・これが被差別民が言うところの「幕府の責任」。

よく「農民や商人に優越感を持たせるため被差別民をつくった」って言われるけど、これは現代の部落差別研究では間違いとされている。

幕府が被差別民を作ったんじゃなく、もともと自然発生的なもの。

・それが薄れようとしていたときに、「差別を強化することを目的」としたんじゃなく、

「基礎を盤石にするため」に昔の体制に戻す一貫の政策の中の一つとして薄れた差別が強化されることになった。

・だけど「エタ」は被差別民であると同時に職人であって、徳川の職人は職人として生きろというのは正直都合がよかった。

・なぜならエタが担う皮革産業は非常に儲かるから。

・ちなみに非人は落ちぶれた貧乏人だったり、犯罪人だったりでエタとは明確に違う被差別民。

決定的な違いはエタは金を持っていたが、非人は金がない場合が多い。

・非人が差別されたのは元犯罪人であったり、貧乏で小汚かったり、乞食だったから

続く

51以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:32:30.21ID:Vu8PTZDm0

・話を戻す。エタが皮革産業を独占できたため、エタ村=エタばかりが集まった村はすげー金持ち。

エタ村で一番有名な大阪の渡辺村っていう村が昔あって、その村の収支見ると並みの村よりはるかに金持ってる。

・そういう金持ってることに対する妬みも差別につながった。

・時代は変わって明治時代。エタ非人にとって転機が訪れる。明治政府の公的機関による「被差別の撤廃」だ。

・この被差別の撤廃の反対運動があったよな。あれは全部西日本で起こってる。というのも、西日本は被差別部落の人数も大きく、

通常の村に堂々と敵対する勢力として成り立っていたから、村同士の仲が悪いし、存在感も大きくあれだけ大騒ぎした。

・東日本の被差別村は普通の村に対抗できるほど大きくない。

・この被差別の撤廃は聞こえはいいがエタにとっては大問題だった。差別撤廃はいいが、それによって職業の自由の時代が来たことによって、

皮革産業の独占ができなくなったから。エタが他の職業に就こう としてもエタだから嫌われてつけない。

・これによってエタの貧困が始まる。これが被差別民がいうところの「明治政府の責任」。

・だからエタ自ら「差別の撤廃=職業の自由化はやめてくれ」って言ってるエタ村もあったりする。

続く

52以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:33:50.16ID:Vu8PTZDm0

・また、過去の身分を隠しながら生きていけばいいじゃんって思うかもしれないけど、

結局長年の皮革産業の知識と技術を培い、持っていたのは被差別民だったから「差別撤廃」「職業の自由化」といいながら

そこまで産業の自由化が起こらず、被差別民は皮革産業に従事し続ける事も多かった。

・東日本では被差別部落は小さい。淘汰されたり、移住民が来てすぐなくなったりすることができたが、

西日本では被差別部落は大きく、農村の横のつながりが強い。いつまでも差別が残ることになった。

・これが現代の東日本と西日本の部落差別の在り方の違い。

・ちなみに、西日本でも唯一北陸地方では浄土真宗が多く、

浄土真宗は殺しも穢れも否定しなかったから被差別部落が格別に少ないという特徴がある

・この被差別部落民がいうところの幕府の責任と明治政府の責任は、

現代の行政が同じ業務を引き継いでいるのだから行政が責任を負うべきだとされているのが被差別部落民に対する行政の優遇。

・現代はこの優遇策がまた差別の原因になってる部分が否めない

終わり

61以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/07/22(月) 16:50:58.48ID:Vu8PTZDm0

»41

歴史は今言ったとおり

どうしたら解消か、解消に向かってるかは、東日本式は「いつか忘れるから放っておこう」式で、

西日本式は「差別はだめだとあらかじめ教えよう」式

東日本のほうが実際差別は少ないけどもともと母数が圧倒的に違うからどっちが正しいのかは被差別部落研究界でも答え出てない

差別される人されない人は同じ被差別部落出身者なら単に本人の性格の問題


本来的には、モーゼ十戒の筆頭にあるのが、

「わたしのほかに神があってはならない」

であります。一向門徒も法華衆もそれに近い考えの人はいて、中には「鳥居をくぐるのも許されない」、と考える人も皆無ではない。
その一方で、「表敬訪問」なる言葉…ちうか「概念」をひょいとでっちあ……いや、考え付いて、そのへんをさらっと解決してしまうというね。

今回オバマは絵馬を奉納し、神主と

「これを持ち帰っても、私の願いはかないますか?」
「それは神様だけが知っています」

というやり取りをしたが、その神様が一致しているとは限らない…あるいは一致しているとまずいかもしれない。

でも、いまは他宗教に対して、いかにモーセの十戒があろうと、内心でそう思っていようと、「敬意を表さない」のはポリティカル・コレクトではないことになっています。いつのまにかね。
それは世俗国家の、ひそかな宗教への勝利だったりもしてる、と思います。でもまあ、カソリック自体も教義や体制的に……完全に他宗教への敬意をベースとしているか。


表敬(ひょうけい)訪問という形で使われる「表敬」は1983年に出た第3版から広辞苑に登場した言葉という。つまり新語で、実はその誕生年まで分かっている。61年に作られ、その後に世間一般で広く使われるようになって辞書に載ったのである

▲その年来日したアルゼンチン大統領は明治神宮参拝を希望した。だがカトリックの多い国民感情を懸念する駐日大使の相談を受けた外務省と神宮側が協議、神宮の儀式課長が「参拝」ならぬ「表敬」なる新語を提案したのだ。拝礼も神道(しんとう)の作法とは違う方式を用いた

▲以後、外国賓客(ひんきゃく)の神社訪問には「表敬」が用いられたというのは、同神宮のホームページが記しているところである。来日した米大統領も過去に3人が明治神宮を訪ねている。「表敬」が一般に広まったのは儀礼的なあいさつや訪問を表すのに実に便利だからだろう


【 おばあちゃんの知恵袋 】

日本人はな、お互い様やねん。
相手に一回譲ってもうたら、 今度は自分が譲るねん。
そうやって、うまいこと回っていくねんけど、

『 あの人ら 』は違う。

一回譲ったら、つけこんできて、
こっちはずっと譲らなあかん羽目になる。
それでも『あの人ら』は平気なんや。

カドたてんとことおもて譲り合うのは、
日本人同士だけにしとき。
そうせんと、『 あの人ら 』につけこまれて、
『 ひさしを貸して母屋を盗られて日本がのうなってしまうからな。

嫌われることばかりをしてる人を嫌うのは、差別やない。
差別、差別と印籠のように突き出してくる人間こそ 卑怯者の差別者なんよ。

【 おばあちゃんの知恵袋 】 (via maido3) (via itokonnyaku) (via twinleaves, maido3) (via rosarosa-over100notes) (via dappa4696) (via karakurenai) (via the-little-prince-and-fox) (via shinjihi) (via tomine) (via clepsydra) (via konishiroku) (via allgreendays) (via layer13) (via sierra7) (via zaiga) (via dokuroou)

20 :名無しさん@13周年:2012/06/18(月) 07:09:48.03 ID:ZEouR8Np0
忘れてはならない。

 2011年3月11日、大津波が押し寄せ、緊急車両が来られるはずのない被災地で、
 各GSに、ガソリン配給を中止させる政府通達がされたことを。

忘れてはならない。

 2011年3月12日、菅直人が福島県民が被曝することを知りながら、
 自己の保身のためにわざわざ取り寄せた当日のSPEEDI情報を隠し、
 視察を強行し、爆発を招いたことを。

忘れてはならない。

 東日本大震災直後、神がかり的早さで数日で復旧した東北道を、
 民主党の「政治主導」で、被災者移動や物資トラックは通行禁止とされたことを。

忘れてはならない。

 2011年3月、一刻も早い福島第一原発の冷却が急がれる中、
 菅内閣は、アメリカからのホウ酸水の投入提案を蹴り、
 数日後に意味のないヘリ注水をして被害を拡大させたことを。

忘れてはならない。

 2011年3月末、いわきの競技場に保管された超大量の物資を、
 民主党の「政治主導」のもと、1キロ離れた食料不足の避難所にも届けなかったことを。

忘れてはならない。
領収書の日付をうやむやにして、結局辞めることになった菅直人が最後に仕事は
復興そっちのけで朝鮮学校無償化適用を文科相に指示したことを。


高校の時に好きだった日本史の先生が「歴史は人類が争いを繰り返しながら、いかに人類自身の幸福と平和を願ってきたかを学ぶ学問である。くれぐれも“今よりも昔が良かった”という戯言に騙されてはいけない。君たちはあらゆる時代よりも幸福な時間を生きている」って言ってたから今だにそう信じてる。


高校の時に好きだった日本史の先生が「歴史は人類が争いを繰り返しながら、いかに人類自身の幸福と平和を願ってきたかを学ぶ学問である。くれぐれも“今よりも昔が良かった”という戯言に騙されてはいけない。君たちはあらゆる時代よりも幸福な時間を生きている」って言ってたから今だにそう信じてる。


224: フルネルソンスープレックス(禿)@転載禁止 2014/04/26(土) 20:24:28.72 ID:QOdTTVBei
原文らしきモノを拾ってきた。

and said that he hoped the South Korean people
take the Seoul tragedy as an occasion
for moral and spiritual rebirth.

ニュアンス云々言える次元でなく
訳文そのまんまでございました……

228: かかと落とし(大阪府)@転載禁止 2014/04/26(土) 20:30:36.47 ID:XOGFGj2d0
»224
南朝鮮人の魂の悲劇かと思った
232: フェイスロック(catv?)@転載禁止 2014/04/26(土) 20:32:25.20 ID:6jsuW7ZP0
»224
これ、きっと本心ポロっなんだろうなぁ
254: ミッドナイトエクスプレス(栃木県)@転載禁止 2014/04/26(土) 20:45:45.06 ID:83pwHWdK0
»224
うわ・・・・
どう訳してもアカンパターンじゃないの
296: 足4の字固め(dion軍)@転載禁止 2014/04/26(土) 21:31:14.64 ID:cw7/4u+U0
韓国のはキリスト教だと認めて無いと思われ
300: ストレッチプラム(チベット自治区)@転載禁止 2014/04/26(土) 21:32:16.37 ID:bhLG7bJW0
カソリック・・・いやカスリックが多数派の国

韓国のメディアがそのような反応をすることに、他国の人間として言及すべきことは何もない。私自身としては朝日新聞のようにこの事件を「他山の石」とすることには違和感がある。
 違和感の根幹は、こうした反応は極めて日本的、また、極めて韓国的なものではないだろうか、ということだ。
 今週の日本版ニューズウィークがこれに焦点を当てた記事を掲載していた。「フェリー沈没事故を韓国はなぜ「恥」と感じるのか」(参照)である。しばらくすると無料公開になるのではないか。

 欧米では、このように悲劇的な事故と国家威信、恥、自尊心とを結びつけて内省するといった反応は起きないだろう。欧米で惨事が起きた後に続くのは、過失への非難と犠牲者への哀悼、そして安全性や対応策の改善だ。

 しかし他国で同様の悲劇が起きた場合とは異なり、多くの韓国人はこの件を単なる過失や当局の不手際による事故とは考えていない。韓国人は、あの沈没船に自分たちの国民性の欠陥や国としての未熟さを見ている。

 記者はこう論じる。

 だが韓国では人災はそれ以上の意味を持つ傾向にある。貧困国からあっという間に豊なハイテク国家に成長したプライドがあるにもかかわらず、今にも失態を演じるのではないか、まだ力不足なのではないかという不安が国民の心に刷り込まれている。

 そして、この日本版ニューズウィークの記事はこう締められている。

 今はそろそろ胸を張っていい頃なのに、自国を誇る気持ちに確たる自信がないのは相変わらず。米タフツ大学で朝鮮半島を専門とするイ・スンヨン助教はこう言う。「韓国は自分たちが世界の目にどう映っているかを気にしすぎだ」