この大韓民国臨時政府というのがいつできたかというと、「3・1運動」として明記されているように、1919年、日本でいうと大正9年である。朝鮮の暦法でいうと檀君紀元4252年あるいは主体8年、あるいは「大韓民国」という年号があって、当然大韓民国元年になる。
 いわゆる韓国併合が1910年なのでその9年後にこれを認めない大韓民国という国家が臨時政府という形でできた、ということになっている。
 1910年に臨時政府ではあるが建国した大韓民国がどこに出来たかというと、上海である。
 それから中国各地を転々として、1940年(日本では昭和15年)に重慶に移り、大韓民国の軍部として光復軍総司令部を設立し、日本が太平洋戦争(大東亜戦争)として宣戦布告した翌日、大韓民国は日本政府に向けて、対日宣戦布告した。大韓民国は日本と戦争していたのである。
 その後は、大韓民国軍と日本軍との戦闘があったのではないかと思われるが、そのあたりの史実の評価は難しい。いずれにせよ、韓国ではそういうことになっているということだけ確認しておく。
 日本と戦った大韓民国は日本に勝利したということになり、今日の大韓民国を朝鮮南部に樹立し、現在に至る、ということになっている。
 つまり、大韓民国はその憲法によれば、日本に対して戦勝国だし、被害者である。まして共犯者であるわけはない。
 そういうふうに自国を規定した韓国に、日本から、韓国は侵略戦争の被害者ではなく共犯者だったと言っても、通じるわけがない。