38 名前:止まない雨は名無しさん[] 投稿日:2008/09/29(月) 01:15:17 ID:9WI4Susu0

戦後、在日朝鮮人は、日本の諸政党の間を移動しながら、反日活動を展開してきた。
最初は日本共産党に所属し、日本国家の転覆、共産党政権(朝鮮人政権)の実現を目指した。
戦後史に詳しい方なら、戦後、日本共産党を再建したのは、在日本朝鮮人連盟であることをご存知のはず。
1945年から1953年までの8年間、日本共産党は在日朝鮮人が支配していました。
自称沖縄人の朝鮮人=徳田球一をリーダーとする日本共産党内の朝鮮人グループ、いわゆる『行動派』が、
1950年から展開した軍事方針と称する武装闘争戦略は、朝鮮人による「日本国家乗っ取り運動」でした。

この戦略はけっきょく失敗し、日本共産党のイメージダウンを招いただけで終わりました。
宮本顕治をリーダーとする日本共産党内の日本人グループは、大反撃に出て、朝鮮人グループに握られてい
た共産党の指導権を取り返し、権力闘争に勝利しました。
すると、朝鮮人グループはあっさりと日本共産党と袂を分かち、全学連を結成して反国家活動=日本国家乗っ
取り運動を続行しました。
同時に、日本共産党から日本社会党への「民族大移動」を敢行しました。
こうして、日本社会党内に誕生したのが「社会党・左派」です。
つまり、日本共産党・行動派と日本社会党・左派は、実は同じグループなのです。

単に看板を変えただけであり、その正体は暴力革命を目指す朝鮮人グループだったのです。日本社会党およ
び現在の社民党が、むかしから朝鮮総連と深い関係にあるのは、そういう裏事情があるためです。
これは重要な事実ですので、しっかりと頭に入れておかなければなりません。
革マル派、中核派、解放派、赤軍派、これらの組織は、全て朝鮮人の団体なのです。