くしくも、朝日が大誤報を認めた翌日(8月6日)、それを見届けるかのように、沖縄戦で座間味(ざまみ)島の守備隊長を務めた元陸軍少佐、梅澤裕(ゆたか)氏が逝去した。97歳だった。

 梅澤氏は、朝日新聞社が終戦から5年後の1950年に刊行し、その後、沖縄タイムス社が引き継いだ『鉄の暴風』で、座間味島の集団自決を命令し、「朝鮮人慰安婦らしき二人と不明死をとげた」と描かれた人物だ。もちろん、梅澤氏は不明死などしていないし、集団自決も命じていなかった。

ところが、別の書籍や週刊誌でも「戦争犯罪者」「罪の巨塊」などと指弾された。梅澤氏は事実無根だと訴えたが、時代は「軍が悪い、軍人が悪い」という風潮だった。梅澤氏の反論は取り上げられず、梅澤氏は職場を転々とし、家族は息をひそめて暮らす生活を強いられたという。

 戦後40年目の85年7月30日、神戸新聞が「絶望の島民悲劇の決断」「日本軍の命令はなかった」と報じた。梅澤氏に着せられた「汚名」の真実は、座間味島で戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用申請をする際、「自決というだけでは、軍人でもない一般住民遺族への援助は無理だ」とされたため、住民らが軍命令という虚構を創作していたことが分かった。