ドイツがポーランドに侵攻した1939年の9月。第二次世界大戦が始まりました。スイスはその直前、戦雲を読んで、ただちに戦時体制に移行しました。
スイス連邦政府は、ことここにいたって、いよいよ戦時における最初の手を打たなければならなかった。
八月二十八日、政府は法令に従って、穀物・油脂・砂糖類の食料品の取引販売を一時禁止した。…配給制度への切り替えを準備するためであった。
二十九日に、近づく総動員を見込んで、動員部隊の集結を掩護するために国境警備隊その他の部隊を招集した。同時に「現役勤務状態」(非常臨戦事態)の発生を宣言した。
八月三十日、臨時スイス合同議会が、開かれた。議会はまず連邦政府に、国家緊急事態の間、やむを得ない場合は、憲法の規定にかかわらず事を処理できる全権を委任することを、ほとんど全会一致で議決した。(P31−2)
これにより、通常の憲法秩序が一部停止され、議会の反対を気にせず、必要な政策を断行する権利が政府に与えられました。
スイスは民主主義の国です。民主主義国家において、平時には普通選挙で選ばれた議員が、議会にあって政府を監視し、勝手なことをしないようにストッパーをかけています。そして議会と政府はともに憲法の枠内でしか権力を行使できないようにしています。
しかし有事には、議会の議論を待たず、時には憲法の規定さえ超越した強権による非常の政策が必要なこともある、という考えから、このスイスのように、憲法秩序すら越えた大権を一時的に政府や軍に与えることを、国家緊急権といいます。
非常の時には非常の政策が必要だと、スイスの議会は考えたのです。国家緊急権は民主主義の手続きの一部を停止することになりますが、国が亡んでナチスドイツに併合されてしまえば、一部どころか民主主義の全部が失われてしまったでしょう。
戦うスイスの民主主義
一方で、国家緊急権を発動すると、日頃のストッパーを解除された政府が暴走する危険もあります。スイス国民はこの危険にうまく対処しました。
一九四〇年十二月、国防強化のため「徴兵適齢前の青少年に対する予備軍事教練を義務化する法律案」が政府によって議会に提出され通過した。この法案は、戦時中にもかかわらず国民投票にかけられた。その結果…否決されてしまった。
理由は、予備軍事教練が当面必要であれば、戦時下政府に委任してある権限で実行すればよい、連邦の法律として恒久的な法律で定めるのは、非常時に便乗した自由の破壊につながるおそれがあると、主権者である国民の大部分が判断したからであった。
…スイスの人は、戦時中といえども決して自由を忘れなかった証拠であった。(p141)
戦争という非常時には、非常の政策が必要なこともあるでしょう。しかし、非常の政策は、非常時に限定のものです。自由で民主的な国家を守るための戦時態勢によって、自由や民主主義が恒久的に損なわれることがあっては、本末転倒です。
スイスの人々は、非常時にあっては政府に憲法秩序すら越えた強権を与えつつも、与えた強権が非常時だからといって濫用されないよう監視することで、二重の賢明さを示しました。
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