“初めての五輪、惨敗した結果以上にショックだったこと。
その無理が露呈したのは’06年、高校3年生で迎えた
トリノ五輪のときだった。本番3日前の記者会見で、
8歳のときに亡くした父親のことについて触れられると
「そういうことにはお答えできません」と、
壊れたように泣きじゃくった。安藤にとって父親の記憶は宝石そのものだった。
その宝石箱を強引に奪われ、こじ開けられたかのような
気分になったのだ。試合でも4回転ジャンプに失敗するなど精彩を欠き、
初めてのオリンピックは15位と惨敗した。
ただ、試合の結果以上にショックだったのは、
その後、自分の周りから潮が引くように
人が去っていったことだった。『空に向かって』の中で、安藤はこう綴る。
〈そこで気がついたのは、
結局記者の人たちは、話題性で自分を取材しているだけだった、
ということです。
(中略)私は人を信じることをやめました〉当然のことと言えばそうだ。
だが、それに気がつくのに、安藤は普通の人の
何倍もの時間とエネルギーを費やした。 ”– 韓流研究室 浅田真央”引退発言”にみる電波芸者の醜さ (via laft)
(via tkdsngn)