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李承晩(りしょうばん)ライン

ウィキペディアより。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E6%89%BF%E6%99%A9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3

李承晩(りしょうばん)ラインは、1952年(昭和27年)1月18日、韓国初代大統領・李承晩が、

大統領令「大韓民国隣接海洋の主権に対する大統領の宣言」を公表することにより設定された韓国と、周辺国との間の水域区分と資源と主権の保護のための海洋境界線である。

第二次世界大戦後、1945年9月27日に米国が、日本漁業の操業区域として設定した「マッカーサー・ライン」がサンフランシスコ平和条約が1952年に発効されることによって無効化されることを見越した韓国が、マッカーサー・ライン代わるものとして設定しようとしたものである。

同年2月8日、李承晩政府は、この境界線を設定した主目的は、日韓両国間の平和維持にあると発表し、韓国では「平和線(평화선)」と宣言された。

しかし後に、日本の外務大臣を務めた大平正芳は自書に、李承晩ラインを韓国が日本海・東シナ海に設定した軍事境界線と記している。

1952年2月12日 、アメリカ合衆国は、韓国政府に対し、李承晩ラインを認めることができないと通告したが、韓国政府はこれを無視した。

韓国は、この境界線に基づき日韓基本条約が結ばれる13年の間で・・・日本の漁船328隻を拿捕し、漁師3929人を拘束、そのうち44人が死亡した。

後に韓国政府は日本政府に対し、拘束されている日本人漁師釈放の代わりに、日本の刑務所に収監されている韓国人受刑者の釈放を要求し、

日本政府は、その要求を受け入れ、受刑者472人を釈放し永住許可を与えた。

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