事実、日本の学校教育には「軍事教練」の名残が、いたるところにある。

 その代表的が「ランドセル」であろう。ランドセルは西洋式軍用背嚢から派生した。軍隊に入ったときのために背嚢を担ぐ訓練を6歳からやっている、というわけだ。同じく中学になって学生服(詰め襟)が制服になったのも「軍服に慣れる」ためなのだ。

 学校では、1クラス3、40名。それを5名前後の班に分けるが、これも軍隊の小隊と分隊からきている。遠足や修学旅行などの校外活動では、これを「中隊」規模となる100名前後に分ける。学校の活動単位は、基本的にすべて軍隊の区分けといっていい。

 朝礼は司令官の訓示の訓練。気をつけ、前ならえ、休めは軍隊の待機行動の基本。ホームルームの起立、一同礼、着席も隊長への挨拶。生徒による掃除や給仕は集団行動の意識付け。今はさすがに減っているが、教師による生徒への体罰も上官の命令に対する絶対服従を身体に叩き込むためで、こちらも軍事教練の名残なのだ。

 一人のミスを班(小隊)の連帯責任で懲罰を与えるのも同様だ。軍隊では一人のミスで小隊が全滅しかねない。小隊が全滅すれば、そこから分隊、中隊へと被害が広がる。だからこそ軍隊では、班(小隊)全体が共通意識を持ち、裏切らず、逃げ出さないよう徹底して同調圧力をかけ、小隊が一個の生物のようになるよう訓練する。この傾向は運動部に今でも色濃く残っていよう。とりわけ坊主頭、不祥事の際、有無を言わせぬ連帯責任など高校野球は、銃をバットに持ちかけた軍事教練と思えば、なるほど、と納得するはずだ。

 そもそも日本の学校は「兵舎」なのをご存じだろうか。職員室は上官室、教室は兵隊の宿舎兼待機所。運動場や体育館は訓練場所といったように学校はそのまま兵舎として活用できる、というか、兵舎をそのまま学校にしたというほうが正しいだろう。

 夏休みになれば、小学生たちは朝のラジオ体操をする。このラジオ体操も「兵式体操」が元になっている。兵式体操とは、1885(明治18)年、文部大臣だった森有礼が「貧弱な日本人の体格を強化」することを目的に発案した。江戸時代まで日本人は、一部の武士を除き、肉体の強化に関心はなかった。そこで欧米人に負けない肉体を得るために兵式体操や柔道などの格技を学校教育に取り入れた。スポーツのことを「体育」(身体を育てる)と称するのは、そのためなのである。

 実際、体育祭は、隠されてきた軍事教練ぶりがいかんなく発揮される行事であろう。行進、組体操、障害物競走などは、本当の軍隊でも行うカリキュラムであり、騎馬戦、棒倒し、応援合戦などは、軍隊のレクリエーショ競技といっていい。

 6・3・3の12年、日本人は銃こそ扱わないが、徹底的に「軍事訓練」の基礎を叩き込まれている。なにより軍隊は前線で戦う兵隊ばかりが必要ではない。軍の部隊を支える「軍属」、一般業務を担当する人材のほうがはるかに重要なのだ。その意味で、男女問わず健康な日本人ならば、銃などの専門知識と軍規を教えれば、すぐにでも軍属として使える。