2万年前、ユーラシア大陸東北部に住んでいた人たちは、
球寒冷化に伴い南下を始める
小氷河期に入ると海面が下がり、朝鮮半島と九州が陸続きとなり、
より温暖な日本列島へと移住するが
彼らが後に縄文人となる
因みにこの時代の朝鮮半島は寒くて定住できない土地

縄文人が縄文文明を開化させたのが1万5千年前
日本中に生活圏を拡大すると、

一部の縄文人は海を渡り朝鮮半島南部に定住した
彼らが先住の朝鮮半島住民となる
朝鮮半島との交流の歴史というのは、
結局海を渡った日本人の移民と日本との交流に過ぎない
大和朝廷が勢力を持つと朝鮮半島にも直接影響を与えるようになり
任那日本府という直轄領地を持ち、現地政府を置いた

後に三韓(高句麗・百済・新羅)と言われる時代に入る
このうちの新羅は建国に日本人が携わり初期の王族は

倭人(日本人)だったと言われる
朝鮮半島北部には中国大陸から色んな時代に色んな民族が
流民としてやってきて定住し、いくつもの集落が誕生した
満州の北部に高句麗(扶余族)という国が出来ると、
勢力を拡大し朝鮮半島北部を取り込んだ
また100と言われた集落を統括し百済という国が生まれるが、
この百済は大和朝廷の植民地として統治された

この時代に韓国なんて当然ないし、

朝鮮族は微塵も存在しないですよね

ところがこの後、

ロシアの沿海州に居たワイ族という蛮族が新羅に流れ込む、
今で言えば密入国者だな
後に新羅が乗っ取られてしまう
一方中国には新興の軍事大国の唐が誕生し、
高句麗を攻め滅ぼし、さらに百済に侵攻する
このとき新羅が背後で手引きをしたせいで、百済も滅亡してしまう
日本からは百済救出のために兵を送るが、
所詮海を越えて兵を送り、唐の大群相手の戦いには勝てずに廃退した
百済というのは王族は日本にゆかりのある人たちだが
大衆は雑多な民族であったため
百済の王族は日本に亡命帰化した

朝鮮人というのはワイ族をルーツとするが、

度重なる外敵の侵入と民族浄化(男子は殺され女子はレイプ)により
混血ルーツの構成がたびたび上書きされ入れ替わるが
明(13世紀に誕生)が朝鮮半島を冊封体制に置き、
人口の流入が制限されたことで誕生したのが今の朝鮮民族