植民地を解放する際には、宗主国内にいる植民地出身者には、国籍を認めることも含め、特別な法的地位を与えるのが通例です。その国の国籍法が生地主義であれば、二世以降はその国の国籍を取得するわけですし、血統主義であっても、自国内で出生し、引き続き定住している人たちには、多くの国が申請のみによる国籍取得を認めています。少なくとも、旧宗主国の中で、在日韓国朝鮮人のような立場の人たちを、二世以降、何世代にもわたって、外国人のまま処遇しているのは、日本だけです。

もちろん、これについては、在日の側から国籍を求める声が少なかった、という点も指摘しておかなければなりません。その理由としては、どちらも「単一民族」であるという幻想を持った日本と韓国というふたつの国の狭間にあって、国籍=民族という考えからなかなか脱却できないということが一点、もう一点は、民団と総連の対立の中で、どちらも国籍によって団員をつなぎ止めておく必要があったという点、が考えられます。

なまじ日本人とは異なる国籍を持っているがために、国籍がアイデンティティの証明になってしまい、子供に民族教育を受けさせた一部の人をのぞいて、民族としての内実になるべき、言葉や習慣などの伝達が行われなくなってしまったのは、くやんでもくやみきれないことだなぁ、と思います。といっても、過ぎ去った月日は元に戻せないわけで、日本で生まれ育ち、ずっと日本名を使い、言葉もわからないし、外国人登録証の切り替えか、パスポートをとるときでもなければ、自分の国籍さえも意識しない人が大多数である、という現在の地点から、考えていくしかないわけです。