ヒトラー率いるドイツがオーストリア、チェコスロバキアを併合すると、近接するスイスは「次は我が身か」と考えました。スイスは「自分の国だけは安全だろう」「こちらから何もしなければ、相手も攻めて来たりしないだろう」などとは考えませんでした。自国を守るため、戦争準備を開始しました。

国防力の強化

 第一次大戦後、スイスもご多分にもれず、幻の永久平和の夢を見てきたが、一九三三年から本格的に軍備充実に乗り出した。その後、年を追って軍事予算を増加し、ときには巨額の戦時公債を発行して、武器装備品の改善充実、軍用資材の備蓄、要塞施設の強化などを重点に国防力の強化を図った。(p26)

 外交面においては、国際連盟が行う制裁に、今後は参加しないことを連盟に承認させ、絶対中立主義へと回帰しました。これには多少の説明が必要でしょう。

 日本において「中立」と「国際連合」は親和的なもののように思われがちです。しかしスイスにしてみれば、国際連盟を中心とした外交は、かえって中立を危険にします。中立とは、争っている国々のどちらにも加担しないことです。なのに、国際連盟の名において制裁に参加してしまうと、紛争当事国の一方に加担することになります。

 具体的には、国際連盟の決議によってドイツやイタリアへの経済制裁に参加して、恨みを買い、自国が侵略されるのはご免だ、ということです。これは身勝手なエゴイズムです。しかし、ドイツ軍がスイス領へ殺到したとき、ともに血を流して戦ってくれる兵士のただ一人たりとも、国際連盟が送ってくれるわけではないのです。

  戦間期において、欧州の小国たちは国際連盟を健気に信じました。しかし理想に最も尽くした小国たちほど、何者にも守られることなく、大国の軍靴に踏みにじられ、あるいは外交上の供物として使い捨てられました。そのような結果を思えば、早々に国際連盟に見切りをつけて「国際機構など知った事か。まずは我が身を守るのが最優先だ」としたスイスの切り替えの早さは、賞賛されるべきエゴイズムであったでしょう。