もっとも、投票率が選挙結果を決めるというような議論、考え方は適切ではない。実際の結果を見ると、たとえば投票率が高かった2005年の郵政解散では自民党が圧勝しているが、やはり投票率が高かった2009年には自民党は惨敗している。公明党のような組織政党は得票数があまり変わらないので投票率が下がると得票率が上がる傾向にあるのは確かである。しかしこれで結果が変わるのは比例区のみで、選挙区での集票は自民党にも依存しているため投票率は関係がなくなる。

 選挙後には、投票率が低かったのでうちの党は負けたのだといった泣き言もときに聞かれる。しかし、その党が負けたのは投票率が低かったためではなく、多くの有権者を投票所に向かわせて、自党に投票させることができなかったためである。棄権者が投票に行けば自分の党に入れるはずというのは、責任逃れのための誇大妄想でしかない。投票率は選挙結果を左右するものではなく、選挙結果そのものなのだと、考え方を改めたほうがよい。

 投票率は、各党、各候補の得票、少々の無効票の総和を分子とするデータである。投票率が低いということは、各党、候補の得票が少ないということである。したがって低投票率は、政党や政治家に魅力がない、選挙に面白みがないということを端的に意味する。そしてこれは、決して有権者の責任ではない。政治に関心がない、どの党に入れても変わらない──人々にそう思わせているのは、今の政治である。政党や政治家は低投票率の被害者ではなく、低投票率を生み出している犯人なのである。

 投票を躊躇う有権者に、投票に行けと攻撃する有権者も同罪である。好ましい政党や政治家が見つからない不幸な有権者に、「究極の選択」を偉そうに迫るのは止めて欲しい。他人を責める代わりに、まず現状における人々の選択の苦痛を理解したうえで、その人にとってどの党が好ましいのか示唆したり、あるいは自らの支持政党の魅力を語るなどしたほうがよい。