歴史教科書の不当な扱い

 明治天皇の存在はかくも重い。にもかかわらずいま日本人は明治天皇についてほとんど知らない。今日問題の歴史教育は明治天皇を極力軽視している。中学歴史教科書のうち、全国約六割が使用している東京書籍の教科書には「明治天皇」という名が出てこない。この事実をどれだけの人が知っていようか。驚くべきことである。許されるべきことだろうか。明治天皇の名のない明治の歴史、日露戦争の歴史をどうして書けるのだろうか。あまりにも不当な扱いであり狂気の沙汰ではないか。明治天皇なしにはありえぬ近代日本の新生と躍進であったのに、その名を一切使わないということは偏向と自虐を超えた悪意に満ちた重大な誤りである。
  例えばワシントンの名のないアメリカ建国の歴史がありうるだろうか。ピョートル大帝のない近代ロシア史を書きうるだろうか、ウィルヘルム一世の名のない近代ドイツ統一の歴史がありえようか。あるはずがない。近代日本における明治天皇の存在はワシントン、ピョートル、ウィルヘルム一世以上であるにもかかわらず、その名を伏せることは重大な犯罪的行為でなくて何か。
  また東京書籍は、明治維新後に誕生した中華民国、ソ連、中華人民共和国の建国者たる孫文、レーニン、毛沢東を顔写真付きで説明している。これは何を意味しているか。孫文、レーニン、毛沢東の方が、名前も肖像画も載せられていない明治天皇とは比較にもならず偉大な歴史的存在だと言いたいのである。おかしいと思わないか。レーニンと毛沢東はスターリンとともに莫大な数の自国民を虐殺した人類史上最大の悪魔であることは今や世界中が認めている。孫文の人物、才幹、業績は明治天皇とは全く比較にならない。戦後の歴史教育の明治天皇に対する過小評価、いな否定、抹殺は日本人の誇りと自信を徹底して奪い去る亡国教育そのものであることを知らなければならない。