根室市発行の「根室港」という地図と資料には、1855年(安政元年)の日ロ通好条約で四島の日本領は確定、と記しているが、それは日ロ国境の最終合意ではなかった。より正確には1875年(明治8年)函館戦争の敗軍の将、榎本武揚を全権代表にロシアとまとめた国境確定条約(樺太千島交換条約)で樺太をロシアに譲り、千島全島が日本領と確定させた。これが近代国家として日本とロシア間で最終的にまとめた国境確定条約であった。
疑問の第一:北方四島返還運動で、日本政府はこの1875年の条約には一切触れようとしない。それでいて、領土根拠を暫定的な1855年条約を引き合いに出している。
私は根室市地図に記されているのは、当初根室市の誤りかと思ったが、四島センターに行ってみて、それは根室市の判断でなく政府判断に市が従っていただけだとわかったのでもあった。
疑問の第二:「固有の領土」といいながら、その一方で1855年条約を根拠にする論理矛盾はなぜ、そのまま放置されているのか。
本来的に、近代国家間の国境確定に「固有の領土」という概念はあまりない。強いていえば日本の場合は主要四島だけに限って言い得る定義である。国境を確定させるというのは、その帰属について紛争や隣国の見解と異議があったときに求められるわけで、「固有の領土」については条約で確定させる必要などないし、ということは“異議ある国境”に関して国際間で、「固有の領土」をその根拠として主張するなどはとても通用するわけでもない。
何らかの異議が当時国間にあるから条約によって平和裏に確定させる、あるいは武力で確定させてきたのである。
いま、1855年条約を根拠にするというのは、それが「固有の領土」とは言い切れなかったが故に条約交渉で確定させたのであるから、そこに矛盾がどうしても生じる。そうまでして、なぜ政府は「固有の領土」という表現に固執するのであろうか。
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