わが耳奥に残る「しょせん傍観者」の響き。重なる逸話があった。それは、やはり同世代の在日2、3世の何人もが異口同音に語った子ども時代のものだった。
ある日、友人に意を決して打ち明ける。
「実は俺、在日なんだ」
友人は決まって言った。
「何も違わないじゃん。日本人と同じだよ」
平等を語りながら、上から見下ろし、同じところまで引っ張り上げるような同情、あるいは慰めるような響き。
「同じなわけがなかった。公務員になれない。選挙権がない。差別はさまざまにあるのに」
心の叫びをよそに、大抵の友人は「これまでと何も変わらないから」と続けるのだった。
「何も変わらないだって? どうして置かれた立場が違うのに、これまでと同じでいられるのか。一緒になっておかしいと声を上げてくれないのか。まるで『スルー』された気分だった」
そうして素通りされてきた在日という存在、在日を在日たらしめたこの国の歴史。
朝鮮学校に通う在日3世の少年はヘイトスピーチから関東大震災で起きた朝鮮人虐殺を連想する、と言って続けた。
「人間扱いされていないのは、いまに始まったことじゃない。そもそも植民地にされたころから半島人、鮮人という蔑称で呼ばれ、無理やり連れてこられ、1日18時間とか働かされてきた」
時代の正体〈66〉 ヘイトスピーチ考〈下〉 耳奥に響く「傍観者」【記者の視点】=報道部デスク・石橋学 | カナロコ (via clione)
いつもなんだが, 国籍を取らない理由が分からない. アメリカは大統領になるのにアメリカ生まれのアメリカ国籍じゃないとダメだよ.
(via bgnori)
無理やり連れてこられてねーしw
(via kabaken)