儒教は徳治主義です。徳治主義とは徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くという思想です。この思想は統治者だけでなく、すべての社会にまで浸透しています。では「徳」とか「正しい」とはどういうことか?というと、明確な答えはありません。時代によって状況によって正しいということは変化するものだからです。そこで、その人物の正しさは何によって証明されるのか?? それは「結果」です。

そのとき正しくても悪い結果が出れば、その行動とその行動を取った人物は「悪い」ことになります。その人物が徳の無い正しくない、悪い人間だから悪い結果となったわけだから、その人物は「悪」です。

となると、良い結果こそが正義です。

徳治主義とは実は、究極の成果主義と言えます。

しかし、それなら何の問題も無いような気がします。

日本のように「和」を重んじるあまり、誰も失敗の責任を取らないという社会によりはずっと現実的で、臨機応変に対応が出来るような気がします。優れている、ような気がします。

しかし、ここに落とし穴があります。

結果がその人物の「徳」を証明するのですが、ここに「因果関係」がありません。

例えば、AさんがBさんに騙されてお金を取られたとします。

儒教の徳治主義では、騙されたAさんが悪い、となります。

騙されたのはAさんに徳がないから、バカだからです。

徳がないから、お金を騙し取られるという結果になったのです。

でも、Aさんは「嘘」をつかれ、騙されたから判断ミスしたのです。

客観的な情報を得ることが出来れば判断ミスはしなかったでしょう。

それでも騙される人はいますが、客観的で正しい情報を得ることが出来ればAさんが騙された確率は格段に下がったのです。だから、嘘をつき、間違った情報で騙したBさんが、儒教の国以外では悪いのです。多少は「騙される方も悪い」という意見もあるでしょうが、Bさんに非が無い、もしくはほとんどの非がAさんにあるという考えにはなりません。そう判断するのは儒教国だけです。

その結果、嘘をつくことが正当化されます。

騙される方が悪いのだから、嘘は付いた方が得です。

騙し切って利益を得られれば、その利益が得られたのは「徳があるから」となるからです。

嘘はつき得なのです。

ばれたらケンチャナヨ(まぁいいや、気にすんな)です。