【捏造ってレベルじゃねえぞ!】慰安婦強制連行に関する朝日新聞記事の実態!【名誉毀損・人権侵害・国益損失・外患誘致】
 
● 1992年1月23日の朝日新聞のコラム↓
  日本軍が主導して村を包囲し、女性を道路に追い出し、木剣を振るって若い女性を殴り、蹴り、トラックに詰め込む。
  一つの村から何人も連行して警察の留置所に入れておき、予定の百人、二百人になれば下関に運ぶ。
  女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られていった。吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた。
  国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運び、一年二年と監禁し、集団強姦し、
  そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。吉田さんらが強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだ。
 
● 1944年、当時の朝鮮慰安婦20人から直接聞き取ったアメリカの報告書↓(もちろん当時のアメリカは日本の敵)
  慰安婦達は個室のある大規模家屋に宿泊し、それぞれの慰安婦はそこで寝起きし業を営んだ。
  彼女たちは日本軍から一定の食料を買い、ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは他の場所と比べれば贅沢ともいえるほど。
  食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。
  故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。
  将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、またピクニック、演奏会、夕食会に出席した。
  彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。
  彼女たちの証言によると、慰安婦は接客を断る権利を認められていて、借金の返済が終われば国(朝鮮)に帰ることもでき、
  中には日本兵と結婚する慰安婦もいた。