今年、チベット暦の2月15日(2008年3月22日)、毎朝行われる読経が終わってから自分は町に出た。自分はタクシー乗り場の端で、靴を修理させた。
僧院に戻ろうとしたとき、携帯電話が鳴った。自分は携帯の画面を見たが、番号は表示されていなかった。
白い車輛が走って来て、自分の前で停まった。4人の兵士が自分を車に押し込み、拘束した。
振り返ると尼僧が見えた。「アニ!アニ!(尼さん!尼さん!)」と何度か叫ぶと、彼女がこちらを見るのが確認できた。
車の中で彼らは自分の頭に黒い布を巻き、手錠をかけた。銃が頭に押し当てられ、体が拘束された状態で自分は武警の留置場に連行された。

留置場はサンチュ(夏河)県公安局の裏にあった。そこで彼らは自分の頭に巻かれた布を取ったが、手錠は外されなかった。それから身体検査され、携帯電話、財布などすべての所持品が取り上げられた。自分は椅子に座らされ、後ろ手で拘束された。
若い兵士が自分に自動小銃を向け、中国語で言った。「これで殺せるんだぜ、この阿老(チベット人に対して中国人が使う蔑称)。少しでも動いてみな。俺は確実に撃ち抜けるんだぜ。俺がおまえの死体をゴミ置き場に捨てれば、あとは『行方不明』だ」。
それを聞いて、頭に押し当てられた銃が怖いというよりも、この男は兵士や公安職員というよりも、刑務執行官なのだと思った。それがここでは一般市民に銃を向けて、そんなことを言っている。
自分は非常に悲しかった。まるで心臓が2つの断片に砕かれるかのように思った。

これは強い権力による民族的な嫌がらせであり、少数民族に対する迫害だ。少数民族を抹殺するために国家が兵器を作っている。現場レベルでそのようなことが行われているのだから、上層部はもっと悪いことを考えていると言わざるを得ない。
自分がそんなことを言われ、銃を突きつけられながら脅されている状況が、まさしくチベット人が迫害され、抹殺されていることを象徴している。言われたようにチベット人が殺されて、死体がゴミ置き場に捨てられたとしても、誰も気付かないだろう。
自分たちは犬や豚以下にしか扱われていないのだ。人が飼っている犬や豚をどうしようと、他の人が文句を言うことはないだろう。チベット人が殺されても、誰が文句を言うというのだ。仲間が死んでもその遺体返還を求めないように自分たちは言われている。だから、人種的な平等などないのだと自分は悟った。

拘留のあいだ、繰り返し聞かれた質問のひとつは「お前たちを煽っているのはダライ・ラマか? ダライ・ラマが窃盗や放火や破壊を指図したのか?」だった。
「お前にとってダライ・ラマとは何か?」自分にとってみれば、自分は仏教信者だ。ダライ・ラマ猊下は自分の人生であり、心であり、魂だ。だから自分は独りではない。600万人のチベット人にとって、猊下は来世と同様に自分の人生での霊的な信頼を置いている人だ。猊下は世界平和に向けた途方もない努力のために広く尊敬されている。猊下は世界平和のチャンピオンだ。猊下は非暴力の方法を確立された。
猊下が窃盗や放火、破壊を目論んだというような非難を自分は絶対に拒絶する。ダライ・ラマ猊下はそんな方ではない。自分のような一介の僧侶でさえ、窃盗や放火、破壊をさせるようなことはない。

ダライ・ラマ法王はチベット人600万人の精神の拠り所だ。誰も自分たちを法王から引き離すことはできない。一介のチベット僧として、歴代に渡って自分たちには師弟関係があり、将来も同様だ。自分たちは猊下に揺るぎない信頼を持っている。
ダライ・ラマとは何かという質問に対して、これが自分が答えたことだった。

拘置所に数日間拘留された後、自分たちは刑務所に連行された。
刑務所では兵士たちが自分たちに「イー、アル、サン」と命令をしたので、中国語のわからない何人かは「けだもの」「この馬鹿」と叱られ、警棒で殴られた。なぜ殴るのかと自分たちが尋ねると、お前たちは中国語がわからないから、体でわからせるしかないのだと言われた。
自分は疑問に思う。中華人民共和国の憲法や法律には、少数民族の居住する地域ではそれぞれの民族の言葉が使われ、民族の権利が尊重されると書かれている。だとすればチベットにおいて、チベット語の代わりに「けだもの」だとか「馬鹿」だとか言われたり、中国語がわからないというだけで暴行を受けたりするのはいったいなぜなのだろうか。

それぞれの行動や年齢はまったく考慮されなかった。14、15歳の若い僧侶と、60、70代の老僧が同じように逮捕された。本当に抗議活動に関わったかどうかも関係なかった。
上着も靴もなかった。2人ずつ縛られ、トラックで連れて行かれた。丸太のようにトラックに投げ入れられた。頭を怪我していても、腕が骨折していても、全員刑務所に連れて行かれた。親類や友人からの食べ物や衣服、寝具の差し入れは許可されなかった。
どうして激しく暴行されるのかと言えば、それは自分たちがチベット人だからだった。そのことを自分たちは本当に悲しく感じた。

自分たちはカチュ(臨夏)の刑務所に送られた。囚人のほとんどが漢族とイスラム系中国人で、チベット人は自分たちだけだった。
排泄物で汚れた床を毎日裸足で掃除しなければならなかった。刑務所では僧衣ではなく俗人の服装が強制された。自分は僧侶だ。僧衣を脱いで手錠をかけられ裸足で連行されるのは屈辱的だった。
刑務所の状態は悪かった。食糧や飲料水は不足していて、着るものもなかった。顔を拭うための布巾さえないのだった。

昼間も夜も常に手錠をかけられた状態で、1ヵ月ほど拘束されていた。
尋問では、ダライ・ラマやサムドゥン・リンポチェ、アジャ・リンポチェなど、外部との接触を問われ、自分はそれを認めなければならなかった。同じようにチベット内部の学者や教師たちと接触があると自分は疑われた。
「お前は活動に関与し、組織を率いただろう。お前は何度も外国へ電話をかけた。それで何をやろうとしたんだ? チベットの旗はどこで印刷したんだ? 何枚印刷したんだ? お前のグループには何人いたのか?」とか、「お前は犯罪を認める以外にない」とか。
自分は腕にロープをかけられ、何時間も吊り下げられた。足を上にして天井から。顔、胸、背中を思いっきり殴りつけられた。ある時ついに意識を失い、病院に連れて行かれた。
自分が意識を回復すると、自分が吊り下げられ暴行されたあの刑務所にまた戻された。結果として自分はまた意識を失い、再び病院送りになった。
ある時は2日間ずっと殴られ続けた。食べることはおろか、一滴の水も飲めずに。自分は腹部と胸部の痛みに苦しんだ。2度目の病院では6日間意識不明のまま入院し、目を開けることも話すこともできなかった。
最終的に、死ぬかどうかの瀬戸際になって、彼らは自分を家族に引き渡した。解放する際、暴行は行っていないと看守は当局に嘘の報告をした。同じように家族に対しても伝え、「私は拷問を受けていません」と書かれた書類に拇印を押させた。
結局20日間入院し、治療費が2万元もかかった。

僧院に戻る途上、180人の僧侶が逮捕されたと仲間たちから聞いた。僧侶たちは何も間違ったことをしていない。先達の僧や教師役の僧侶も逮捕された。
彼らは毎晩、つま先立ちをさせられ、銃把で背中を殴られた。その模様を中国人は首から下げた携帯電話のカメラで撮影していたという。

警察と兵士が僧院の捜索を行っている最中、彼らが僧侶の私室などから仏像やタンカ、金銭、身の回り品から食糧までも盗んでいたのを自分は見つけた。
本当の略奪者であり殺人者が、中国共産党の兵士たちであることは明確だ。彼らが違法行為に手を染める一方で、逆に自分たちが捕らえられ、暴行され、拷問されて、殺されている。

また、「ダライ一派」と共謀して暴動を煽動したと自分たちは訴えられている。もし本当に民族が平等で、表現の自由、信教の自由があるなら、自分たちが心から信じるものの肖像を崇拝してはいけないのだろうか?
自分の目が正しければ、彼らは「尊い存在」ダライ・ラマ猊下の写真を足で踏みつけ、銃把で額を壊し、ばらばらに細かく裂いて、炎の中で燃やした。チベット人であり、仏教徒である自分たちが、亡命されている存在の肖像が踏みつけられ、ちぎられているのを見たら、それはもう取り返しがつかないことだと感じるだろう。
チベット人が窓ガラスをいくつか割っただけで、それが数億元の損害になったと彼らは言う。自分たちが最も尊敬すべき存在の肖像が踏みつけられたのを見たときの心理的な苦痛に対する慰謝料はどうやって見積もるのだろうか?
中国首脳は実践の目標は「和諧社会」だというが、同時にチベット人全員が敬愛し、誇りとしている精神的指導者、ダライ・ラマを彼らはけなし続けている。自分たちの価値観が否定されているというのに、どうやって「和諧」を感じることができるだろうか。

僧侶たちはずっと殴られ続けている。それだけではない。報道記者と話したある僧侶は、警棒で殴られ、足を折られた。
ひどいと電気棒を口の中に突っ込まれた。電気棒は脳を麻痺させ、精神障害を起こすこともある。自分たちはそういう拷問に耐えた。
いまの望みは、国際的なメディアや国連の調査官がチベットを訪れ、現実の状況を調査し、その結果を評価した上で報告することだ。これが自分たちの望みだ。

中国は、チベット人が法を犯したと言い、逮捕し、暴行を加え、多くのチベット人を殺している。多くの人たちが山に逃げ込み、家や家族の元に戻れないでいる。国際メディアがこれを報じてくれれば、彼らは助かるだろう。

ダライ・ラマ猊下は、自分たちのアクションについて何も促していない。独立のために戦えとは法王は言っていない。法王はこの種のことについて決して言及しないのだ。
自分たちのほとんどはダライ・ラマの「中道路線」と、平和的対話によるチベット問題の解決を支持している。が、一方で自分たちが受けているひどい迫害に、悲しみを覚える。
きょう、自分は、真実の目撃者として、刑務所で続く拷問によってチベット人が殺されていっていることや、無数の人々が山中に逃げ、恐怖のために帰宅できないでいることを、メディアを通して伝えたい。この状況をメディアが報じてくれることが、自分の願いだ。

公安事務所と秘密警察の職員たちはチームを組んで僧院の自分の部屋を訪れ、自分をしっかりと見張っている。いまも見張りがついている。
自分は外出することも電話をかけることもできない。手元には分厚い中国の法律書を学習用に置いている。自分は自白を書くように言われているのだ。自分はただ刑務所にいないというだけで、自由がないのには変わりはない。

ラプランやアムドだけでなく、カムや中央チベットでもここ数日連続的に抗議が起きているようだ。たくさんのチベット人が殺された。また大勢が迫害され、逮捕された。200人以上のチベット人が殺され、数千人が逮捕されたと聞いた。暴力と逮捕は極秘裏に続けられている。
自分たちのところでは、情報が厳しく制限されている。米国など外国からのニュースを受信することはおろか、衛星アンテナを設置したりすることもできない。国内のニュースをテレビで観たり、ラジオで聞いたりするしかない。
こんな状況のどこに表現の自由があるというのだろう。どこに宗教の自由があるのだろうか?

チベットの人々はあらゆる種類の苦しみを受けている。自分はラプラン寺の一介の僧侶だ。今年逮捕されたうちのひとりだ。
拘束されたとき、自分は言った。自分を殺せば、それで終わりだ。が、もし自分が外に出て話す機会があれば、自分が経験した拷問についてすべて話すつもりだ、と。自分は善良なる目撃者として、いまも仲間たちが受けている受難を世界中のメディアに伝えてもらうために話すつもりだ、と。

解放されたとき、自分が受けた暴行については話さないように言われた。また外部と接触しないようにと言われた。が、自分が受けた経験、仲間たちの身に続いている受難を、とても話さずにはいられない。これもまた、いま自分が話している理由だ。
チベットではまだ厳しい弾圧が続き、チベット人の行動が制限され続けている。

最近当局は自分たちに、五輪開催を支持するように言ってきたが、チベット人は蘭州にさえ旅行に出られないし、まして北京へ観戦に行けるわけではない。自分たちはここから出られないのだ。
五輪のために、伝統的な祝祭、祭典、宗教的な儀式がすべて禁止されてしまった。

夏河県では武装兵士が草原中にあふれている。
この僧院の納屋で彼らは、わら人形を作って、僧衣をそれに着させた。中国兵はそれを使って銃剣の訓練をしている。つまり彼らの敵は、チベットの人々と僧衣を着た僧侶なのだ。
逮捕されたチベット人全員が抗議に関わったわけではない。なぜ彼らは訓練のためにチベット僧を模したわら人形に銃剣を刺しているのか?
中国人がチベット人を敵と見なしていることを恐れているのは僧侶だけではない。僧院の職員、学生、その他のチベット人もみんな恐れている。
強大な政府、強大な国家の、強大な民族が、軍隊や警察、銃や戦車、キャノン砲を使って、ただの弱小民族、チベット人を脅かしている。何千人もの兵士が自分たちを取り囲み、「反抗的なチベット人を殺せ」と命令されている。

この21世紀、世界中の人々が平和を謳歌している。平和を愛する人々、真実を尊重する人は、中国の報道制限をやめさせ、チベットで自由に取材や調査を行って、何がチベットで起きているのかを明らかにするべきだ。世界中のメディアや国連、人権擁護団体に対し、注目してもらいたいし、チベットの人々が置かれている状況を解決するための方策を見つけてほしいと自分は思う。