月: 2015年5月

※金のトラブルで疎遠になってしまった母親と病院で再会して

 母はブーンと音を立てる人工透析の機械に腕を繋がれたまま、ベッドの上に座るようにして何時間も私と話をした。彼女があまりにも元気そうだったので、私は一体この騒ぎは何なのだろうと思い始めた。私の滞在の最終日、母は私に椅子をもっとベッドのそばに引き寄せるように言った。大事なことを聞きたいから、と。
 何を言われるのかわからぬまま、私は身を乗り出し母のそばへ寄った。母は言った。
「ジョン、本当なの?」
「本当って、母さん、何が?」
「あなた、本当にお金持ちなの?」
「おい、一体何を……」
 私は言葉を止めた。母は死に瀕しているんだ。そこで私はこう答えた。
「その話はしたくないんだよ」
「あら、教えてよ、ジョン、お願いだから」
「わかったよ。そうだね、金持ちだよ」
 母は女学生のように目をきらきらさせて微笑んだ。少なくとも、ようやく母を幸せな気分に出来たんだな、と私は思った。
 ところが彼女はさらにこう尋ねた。
「もっと教えて、ジョン。あなた、とっても、とっても大金持ちなの?」
「母さん、頼むよ」
 私はうめいた。
「その話はやめよう」
「でも、知りたいのよ!」
 私はため息をついて答えた。
「そう言うなら仕方ない。そう、そのとおりだよ」
 母は再び大きな笑顔を浮かべた。心のどこかで私は、こんなことが母にとって本当に大事なことなのか?と思っていたが、その一方で、自分達の気持ちがこれまでになく近くなったこともわかっていた。
 私は笑いだし、母も笑声を上げた。
「どんな感じ?」
 くすくす笑いながら、母が尋ねた。
「そう悪くはないよ、母さん」
 私は答えた。
「悪くはない」

※中略

 母には平穏の内に旅立って欲しかった。私に注目が集まったりせずに。何年もの間、私は充分母を悲しませ嘆かせてきたんだ。今更それに輪をかける必要はない。だから、私は葬儀には出なかった。今でもあれは正しい判断だったと思っている。母の最後の思い出が素敵なものになっただけでも充分だ。病院のベッドに横たわり、私に笑顔を向けて「とっても、とっても大金持ちになる」というのはどんな感じなのか、と尋ねる母の姿がはっきりと目に浮かぶ。そして私は答えるんだ。
「悪くはないよ。母さん。悪くはない」

「アイ・アム・オジー」 オジー・オズボーン自伝 (via monotunes

)

(via tkdsngn)

※金のトラブルで疎遠になってしまった母親と病院で再会して

 母はブーンと音を立てる人工透析の機械に腕を繋がれたまま、ベッドの上に座るようにして何時間も私と話をした。彼女があまりにも元気そうだったので、私は一体この騒ぎは何なのだろうと思い始めた。私の滞在の最終日、母は私に椅子をもっとベッドのそばに引き寄せるように言った。大事なことを聞きたいから、と。
 何を言われるのかわからぬまま、私は身を乗り出し母のそばへ寄った。母は言った。
「ジョン、本当なの?」
「本当って、母さん、何が?」
「あなた、本当にお金持ちなの?」
「おい、一体何を……」
 私は言葉を止めた。母は死に瀕しているんだ。そこで私はこう答えた。
「その話はしたくないんだよ」
「あら、教えてよ、ジョン、お願いだから」
「わかったよ。そうだね、金持ちだよ」
 母は女学生のように目をきらきらさせて微笑んだ。少なくとも、ようやく母を幸せな気分に出来たんだな、と私は思った。
 ところが彼女はさらにこう尋ねた。
「もっと教えて、ジョン。あなた、とっても、とっても大金持ちなの?」
「母さん、頼むよ」
 私はうめいた。
「その話はやめよう」
「でも、知りたいのよ!」
 私はため息をついて答えた。
「そう言うなら仕方ない。そう、そのとおりだよ」
 母は再び大きな笑顔を浮かべた。心のどこかで私は、こんなことが母にとって本当に大事なことなのか?と思っていたが、その一方で、自分達の気持ちがこれまでになく近くなったこともわかっていた。
 私は笑いだし、母も笑声を上げた。
「どんな感じ?」
 くすくす笑いながら、母が尋ねた。
「そう悪くはないよ、母さん」
 私は答えた。
「悪くはない」

※中略

 母には平穏の内に旅立って欲しかった。私に注目が集まったりせずに。何年もの間、私は充分母を悲しませ嘆かせてきたんだ。今更それに輪をかける必要はない。だから、私は葬儀には出なかった。今でもあれは正しい判断だったと思っている。母の最後の思い出が素敵なものになっただけでも充分だ。病院のベッドに横たわり、私に笑顔を向けて「とっても、とっても大金持ちになる」というのはどんな感じなのか、と尋ねる母の姿がはっきりと目に浮かぶ。そして私は答えるんだ。
「悪くはないよ。母さん。悪くはない」

「アイ・アム・オジー」 オジー・オズボーン自伝 (via monotunes

)

(via tkdsngn)

小熊 そして三つ目は、先ほどあなたがおっしゃったように、日本には移民が入ってこないから、「人種」ではなく「世代」で語られるのだと思います。先ほど
もいったように、外国だったら移民が働くような職場で日本の若者は働いています。ヨーロッパだったら本国人の女性や若者が就かないような時給700円の
マックジョブですね。東日本大震災の被災地では、津波で壊滅した町の部品工場で、農家の中年女性が時給300円で働いていました。そういう人たちがいるか
ぎり、日本で移民は大量には入りません。

こういう状態の社会で、ニューエコノミーで変動した社会についていけない中高年の違和感と反発がどこに向かうか。どこの先進国も、製造業が衰退し、男性の
平均賃金が低下し、女性が働きに出ざるをえなくなり、家族が揺らぎ、結婚できない若者が増えている。それでヨーロッパの場合は、移民が入ってから社会が悪
くなったんだ、と語られる。ところが日本の場合は、こんな社会になったのは若者が悪いんだ、携帯いじってモラルが低い、意外と豊かそうなのに生活保護をも
らっている、我々を脅かす連中で社会を不安定化させる、といった言説が流行る。これはいわば、日本における移民排斥運動の代替版です。

古市 若者バッシングは、ある種、移民排斥運動と同型だということですか。

小熊 ヨーロッパなら移民が入るはずの労働市場で若者が働いているわけですから、社会的な代替物になりやすいのでしょう。

古市 移民は排斥というゴールがありますが、若者に関しては日本人である以上排斥はでききれないわけですよね。ということは、移民排斥運動みたいなかたちでの若者バッシングや若者論というのは、今後も続いていくのでしょうか。

小熊 日本から追い出すことはできないから、しっかり教育して立派な日本人にしろ、という教育論というかたちで出てくるでしょう。歴史を教えろとか、ボランティアやらせろとか、いっぺん軍隊に入れろとかね。”

SYNODOS JOURNAL : 震災後の日本社会と若者(2) 小熊英二×古市憲寿

若者バッシングは日本における移民排斥運動の代替版です。

(via tanakaokubo)

団塊世代が後期高齢者の年齢になる頃には若者の反撃で高齢者は相当に生きづらい状況になってそうな気がするけどな・・じゃないと日本人の種が途切れるぞ・・きっと・・平均寿命が60くらいなら若者の負担ももう少し減るのかもしれないな・・savechildなんて言うなら健康面も大事だけど人生の負担考えたら長生きするより平均寿命縮めた方が子供や孫の為かもしれないな・・あくまでも種の保存の観点で言えばだけど・・

(via madaraya1968)

(via tkdsngn)

野党に「よりよい法律にする」「危険な法案ならなんとしても阻止する」っていう考えが見えないよね。「安倍政権にダメージを与える絶好のチャンスだから吊し上げる」しか考えてない。


沖縄にイベントで青森の雪が持ち込まれることを阻止した東京からの避難組のおばさんがいまして、沖縄の人にtwitterで、「青森から東京の距離は400キロ。東京から福島の距離は200キロ。もし青森の雪が汚染されて危険だというのなら、東京から世帯道具や車一切持って避難してきたあなたの方がよほど危険なので沖縄から出て行って欲しい」と言われていましたのが最たるものでしょう。


“機能を増やすには技術がいるが、機能を減らすには哲学がいる”

dailystyle.net : インタビュー : 秋田道夫

そのとおりだとおもう。

(via yamato)

phylosophyかあ、これはトラウマ

(via buru)

泰:これは名言だな

(via ginzuna)

(via kurousa)

(via gkojax, kikuchige2)

(via tkdsngn)

郵便局の前でスーツ姿の妙齢女性が電話で怒鳴ってる
「言われた事だけやって!」

7秒後
「そんなの言われてなくてもやっ
て!」

19秒後
「新人なんだから勝手に判断しないで!」

32秒後
「そんなの自分で考えて!大人でしょ!?」

pic.twitter.com/wftZfjJ2KN


“ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう”

わさびんびん~わさらーのtubuyaki~ (via wasara)

(via tkdsngn)

NHKで沖縄ブームの立役者となった「ちゅらさん」というドラマがあったが、その中で沖縄と東京を対比して描くエピソードがあった。沖縄から出てきたヒロインの友人が、東京は冷たいところだ、嫌なところだ、沖縄に帰りたいと愚痴る。それに対して東京人の菅野美穂のキャラが激怒していう

「私は、東京生まれの東京育ちなの。私も思うよ。東京って嫌なところがあるって。でもね。東京を嫌な街にしたのは、あんたのような人達よ。東京に暮らしていながら東京を好きになろうとしない。愛そうとしない。どうせいつかは出ていくんだ。それまで我慢してるだけだ。そんな人達ばかりの街が、いい街になるわけがない

…東京に対して失礼よ。そんなに沖縄がいいのなら帰ればいい。帰って東京の悪口言ってればいいでしょ。あそこは、人の住む町じゃないとか何とか言ってりゃいい。でも私は、そうは思わない。ここは人が暮らしてる町だよ」自分はこの脚本を書いた岡田氏は、健全な認識を持っていたと思う。田舎者よ。そういう自分は東京で何をした? 東京のためになにをした? 東京のせいなのか? すべて自分じゃないのか?

共同体を愛していない人間が共同体の一員になるのは不幸なことだ。共同体のためにもならないし、個人のためにもならない。東京だけに限らない。市町村だろうと都道府県だろうと。国だってそうだろう

SuperMTec

Togetter – 「東京都心部ってヘン。と、ある札幌の人間は思う」 (via thresholdnote)

(via tkdsngn)

戦争を語り継いでもダメ
戦前こそ語り継がなければならない
そこには戦争へのプロセスが隠れているから